今何かと話題の教員のブラック勤務問題について現役高校教員の私が主観的に考えます。
教員働かせ放題
まずはこの話題に必ず出てくるのが「給特法」です。
給特法とは、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」のことで、日本における公立学校の教育職員の給与や労働条件を定めた法律です。 教育職員には、原則的に時間外勤務手当や休日勤務を支給しない代わりに、給料の月額の4%に相当する額を「教職調整額」として支給することが定められています。
この給特法に対してまず現役教員として思うのは「4%て…」まぁそりゃないよりはマシなんですけど。
金額に換算すると1万円〜多くても1万5千円くらいか…1日の残業代として計算すると月20日くらいの勤務として考えても500円〜1000円程度。平日は朝から15時半くらいまで授業または空き時間には授業の準備を行い、放課後には事務作業やこれまた翌日以降の授業準備に追われながら部活動の付き添い、実際のところずっとつきっきりで見ているわけでは無いが、負傷者の発生や問題が起こった際には常に対応できる状態にしておく必要がある、そして18時ごろに部活動が終了するこの時点で1時間の残業である。
この時点で定時の労働時間の約11%を超えているのだが、さらにまだ授業準備等が終わってなければもう少し残ったり、進学校であれば生徒の質問対応したり、教育困難校であれば近隣からの苦情電話などの対応などもあり、すんなりと帰れることはまぁ少ない。
さらにこれに輪をかけて時間外労働を増やす原因となるのが、「土日の部活動」である。特に運動系の部活動の顧問であれば、定期考査期間の土日を除き、基本的にはおよそ半日の付添指導が発生する。
平日の勤務時間外の部活動の付添は一切手当などはつかず、土日は3時間~4時間であれば定額3000円、4時間以上付き添えば定額3600円の手当がつきますが、この時間以上付添を行っても金額はこれ以上増えることはない。
時には大会などで朝8時半~夕方6時ごろまでかかることもあるがそれでも3600円、時給換算すれば400~500円くらいであろうか…全国の最低賃金の半分ほどである。
なぜ、こんなにも酷いことになっているかというと「時間外の部活動付添」を職務として認められておらず、あくまで教員の自主的・自発的な行動とされている。
自主的・自発的な行動であれば、顧問をやめれば良いのでは?と思うかもしれません。
実は全く持ってその通りなのですが、実際はそんなうまいこと行きません。
自身の顧問をしている部活動で、急に「明日から土日の部活動は廃止!」となると生徒・保護者の反発は免れません。そもそも公式戦などの大会はほぼすべて土日にあり、生徒はそれらでいい結果を残すために日々努力しています。普通の神経を持った教師であれば、いくら部活動の付添がしんどいものであっても、それらの生徒の経験を大きく奪うことになる行動に抵抗感を感じるはずです。
部活動によっては自分以外にそのスポーツの指導ができる教員がいないなんてこともざらにあり、いやだから辞めますなんてことはおいそれということが出来ない状況です。
ではそもそも、最初から引き受けなければいいのでは?とも思いますが、初任や新転任で新しく学校に配属された際には、だいたい前年度から転勤された先生の穴埋めするかのごとく、「とりあえずここの部活お願いします」と言わんばかりに事前にこちらの意志によらず仮決定されています。
新しく4月に配属された教員がそれに対して「いえ、私は部活動の顧問は引き受けません」などということは余程の確固たる信念を持っている教員出ないとなかなか言えることではありません。
ひとつポイントはこれが管理職である校長が任命するのではなく、だいたいどの学校でも生徒指導の分掌の中に部活動係のようなものがあり、職員会議や部活動の顧問会議で決まりました、のように言われるということです。
このように、生徒のためを思う教員の親切心や職場の集団関係を円滑にするための犠牲心がゆえ、十分とは言えない対価しかもらえない時間外労働とそれに苦しめられる教員の構図が出来上がると私は考えます。(もちろん、中には部活動の指導を自ら希望して、熱心に活動されている先生方も多くいらっしゃいます。)
裁量労働制
では一方で、すべての教員が毎日時間外労働に追われているかといえば、少なくとも私の今の職場はそうでもない。体幹としては割合としては\(\frac {1} {3}\)くらいの教員ぐらいが遅くまで残っていることが多いなという感じです。
部活動の顧問の中にも主顧問と副顧問といものがあり、すべての教員が主顧問を担っているわけではありませんので教員全員が全員毎日部活動付添を行わなければならないわけではないし、文化系の部活などは特定の曜日しか活動を行っていません。また運動部でも野球やサッカーなどは教員にも経験者が多く、顧問の中でも競技の指導ができる先生が多い部活では休日の付き添いも持ち回りで見れるのですが、指導者が一人しかいない部活動の先生は考査期間以外のほぼすべての土日に出勤して付き添いしなければなりません。
また職務の本筋である、授業や生徒指導、進路指導などの業務も教員の立場で大きく変わります。
まず授業については教えている学校のレベルや教科によっても大きく変わります。私が初任で勤務した学校はいわゆる教育困難校で数学の授業の準備にはさほど苦労しませんでしたが、今は進学校ということもあり、特に3年生の指導ともなると国公立大学の過去問などのレベルの問題を授業で扱うことも多くなり、自身の授業準備にもかなりの労力を必要とします。
教科も数学、英語、国語などの主要教科は定期考査に加え、夏休み、冬休み、春休みの宿題とそれら長期休み明けの考査、実力考査など、テストを作成しなければいけない回数が物理的に多くなります。それに伴い採点をする時間も多くなり、かなりの負担があると感じます。一方で体育や家庭科などは中間考査は行わず期末考査だけであったり、音楽や美術などの芸術科目などは考査もありません。だからといって数学、英語、国語の教師よりもその他の教師の方が楽な仕事かと言えば、一概にはそうは言えないが、事実教科ごとの時間外労働の平均時間などをデータ化して分析してみれば、教科による差異が一目瞭然と明らかになるとかもしれません。
では各学校で忙しいと思われる教科とそれほど忙しくないと思われる教科が仮にあったとして、授業準備以外の校務分掌の仕事がそれらを考慮して分配されるかと言ったら、全くもってそういうことにはならないだろう。
そもそも授業などの教科の準備にどれだけ費やすかは教員ひとりひとりの裁量権にゆだねられているのが実際のところだ、同じ学年で同じ教科・科目を教えている教員どうしでも教科書や問題集を次の定期考査までに教えないといけない範囲がどこからどこまでなのかぐらいの最低限の共通事項だけ決めて、教える方法や授業の形式などは教員によって自由にできる。よってベテランの先生で何度も同じ範囲を教えたことがあるのなら授業準備にかかる時間は少なくて済むし、初任で初めて教えるのであれば、授業の準備には多くの時間がかかることになる。
また教師の仕事は、授業だけではない。誰かしら何かしらの校務分掌が与えられいる。「生徒指導」、「進路指導」「教務」「総務」など学校によってその名称はさまざまであるが「教科」とはまた違った属性の仕事が個人に付随することになる。そしてそれらは、時期や行事のタイミングによって仕事の量も内容も大きく異なるために一概にどこの分掌が楽でどこが忙しいなどと決めれるものではない。
「生徒指導」であれば体育祭や文化祭などの行事のある月、「進路指導」であれば受験期や就職活動などで12月~3月、「教務」であれば年間の行事予定や時間割、生徒名簿など年度当初にかなり多くの仕事をしなければならないのである。
さらにもう一つ大きく業務量に関わってくるのが「担任の有無」だろう。担任と言えば、教師の花形であることは間違いはないし、多くの先生が教師を志すうえで担任としての教師像をイメージするものではあります。が、とにかく担任はやることが多く、授業が終われば、生徒の提出物の集計や保護者連絡、ここの生徒に対する面談や進路指導、生徒指導、生徒の成績の管理など多くのことが湯水のごとく沸いて出てくる。もちろん上で述べた教科指導、分掌の仕事に加えてである。
これらの多くの種類の多くの細かい仕事がそれぞれの教員にとりわけ均等化されることなく、積み上げられていき、やり方は自由に任せるから個人の裁量でなんとかしてねという状態である。
また校内での分掌もさまざまな人の様々な事情で入れ替わったり、転勤などでそもそもの人の入れ替わりも激しく、新しく任せられることになった仕事もとりわけ引継ぎがあるわけでもなく、誰かが教えてくれるわけでもなく、PCの共有フォルダに残された昨年のデータを自身で掘り起こし、理解し、改善し、なんとなく実行していく、そんなスキルが要求される。
それでいて管理職からは「あまり残業せずに、早く帰ってね」と言われるわけです。
最近では時間外労働に時間に応じて月の半ばにアラーミングメールとして「あなたの当月の時間外在校等時間が○○時間以上になっています。年間の上限時間の原則である360時間の範囲となるよう努めてください」と自動でメールがきたもんだからたまったもんではない。じゃぁ代わりに部活みてくれよ…と心の中でつぶやくことしかできない。
給与UPか仕事量DOWNか
こうした問題を解決するために、給特法の改正なども今まさに検討され始めようとしているが、教員の給料を上げるのが正解か、はたまた人員を増やすなどして一人当たりの仕事量を下げることが正解なのか…
まずそもそもの学校全体の業務量自体は減らすことができるか?
学校全体の業務量を減らすためには何かをやめなければいけない。しかし、学校という組織は何かをやめることに非常に強い抵抗感を持ってしまいがちな体質であるように思う。
コロナウィルスが流行ったころに毎朝の健康チェックとして生徒の体温や何か症状を聞き取るということをしなければなくなったが、だいぶ落ち着いてきたにも関わらずなかなかこれをやめることをせず、もうやめてもいいんじゃないかという声が上がっても「もしなんかあったときのために」ということでなかなかやめれなかったこともありました。
よって、学校の業務を減らすことは中々厳しいとして、教員一人一人の仕事量を減らすためには、もはや教員の絶対量を増やすか、できることは外部に委託するということぐらいしかありません。
となるといずれにせよ教育にかかる財源を増やすということになるはずです。が、あくまで主観的な見解ですが、現場教員からすると財源を増やして新たに人を雇ったり外部委託するのであれば現教員でない者に仕事を覚えてもらうための初期の教育コストなどもかかります。そんなことに無駄なお金を使うくらいであれば、残業代をしっかり出し、現教員に文句を言わずに働いてもらう方が効率的ではないか?
現役教師が考えるひとつの解決策案
私が考えるこれらの課題に対する解決策として、教員のそれぞれの職務に対する業務の量を各学校単位ごとに適切に測り、その職務に応じて適正な給与の分配を行うということである。
簡単にいうと、教員の給料の全体量はおよそそのままでも、頑張ってる人の給料を上げて、あまり仕事してない人の給料は下げればいいんじゃない?ということです。
そうすれば、もっと収入を増やしたい人は部活動の顧問も担任も分掌の主任・主担も喜んで引き受けるでしょうし、ワークライフバランスをとって働きたい人は給料そこそこに自分の時間が作れる。個人の希望に即した働き方が実現するのではなかろうか?
そのためにはそれぞれの学校における個々人の業務の適正化やここに応じた給与体系を実際に管理するという意味での管理職等を増やす必要もあろうかと思いますが、個人個人の給与の増減で調整すれば財源は確保できると思うけどな…と素人ながら考えます。
私が思う現状の給与制度の問題点は仕事の実際の中身は各教員による裁量によるところが大きい一方で、給与については年功序列であり、個人の仕事量や能力によっての増減がほとんど無いというところにあると思います。担任や部活動顧問、各校務分掌の主任・主担などを任されることによって給与が増えることもありません。教師という仕事は、一般の会社と大きく異なり、売り上げなどの明確な数値的なアウトプットが少なく、個人の業績評価が非常に難しいかと思います。そもそも、各高校によって目指すべき生徒像や、どういった能力を生徒に身に付けさせるかという方針もことなるため、一概に進学実績や就職率などで教師の能力を測ることはできません。
だからと言って、諦めたかのように一律年功序列で日本社会全体の平均以上の年収与えてるのだからいいでしょというわけにはいかない。昨今の「教師離れ」の原因として様々な問題がニュースなどでも取り上げられていますが、やはり根本的な問題点はここにあると私は思っています。
生徒には「明確な目標をもって、自己実現のために計画的な学習をせよ」と教えていながら、教師自身は自身のキャリアアップを考える選択肢がほとんどなく、教育委員会に入るか、管理職になるぐらいしかありません。これ以外に給料を上げる選択肢も下がる可能性もないのだったら、なるべく仕事量を減らしたいと考えるのが、合理的な考え方であることはわからないでもないことだと思います。
もちろん教師という仕事は純然たる公務員であり、社会全体の奉仕者であることは、言うまでもないのでお金のことはとやかく言わず、児童・生徒一人一人のことを一番に考えて最大限のベストを尽くし自分のできる限りのことを行うということは当然であり、そう思って頑張ってる教員がほとんどだとは思います。ですが、公務員といえど人間である以上、それぞれ生活もありますし、それぞれの家族を養っていかないといけない事情もあります。綺麗ごとだけでは済まされない部分もあるのかなと。
以上、現役高校教師の長すぎるぼやきでした。